2016年04月12日

お墓って必要だろうか?

 赤瀬川源平著の随筆集「老人力」、「老人力2」を楽しみながら読んだ。前者は「老人力」の言葉の誕生と、その意味を中心に、路上観察学やカメラの話題。後者は間違って理解されてしまった「老人力」が一人歩きを嘆く。

 講演会などでの苦労話が書かれている。後者の本の最後に「お墓」の話が出てくる。やはり、老人らしい話題と。これは読者へのサービス話かも知れない。とにかく、兄弟で墓を建てたと。この文で、お墓って本当に必要だろうかと考えさせられた。

 我が家では、母方の菩提寺は空襲で本堂が焼けた。石碑はかろうじて残ったが、位牌や過去帳はすべて焼け、資料は何もない。母が亡くなる前に、無縁仏にした。父方の菩提寺も同様。父は次男。幼児期になくなった子のために現在のお寺にお墓を作った。両親はそのお墓に眠っている。震災でもお寺がなくなっている。お寺も永遠不滅ではない。

 先祖代々の墓。何世代お墓の守ができるかさえ極めて不確定。ましてや地球滅亡となればお墓所どころではない。本当にお墓って必要だろうか。今のところ、年4回は墓参りしている。最近、墓参する度に恐怖を感じるようになった。ここで大地震が起こったら墓石の下敷き……。ありうる話だ。気になっている。位牌だけでも良いのでは? 


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