2015年12月27日

以前のブログ

 ずいぶん古くは「犬と暮らす」と題してホームページを書いていた。それからブログ時代になり、「おぢさんの見聞
日記」駄文ながら記していた。

 その後、「フェイスブック」の登場で、様々な方から誘われ、そちらに主流を移し、ブログを閉じた。

 「フェエイスブック」のノートに旨く書くことができればいいが、自由度が極めて低い。それで年齢を考慮し、再び物
忘れの激しい年頃になったのを機に再びブログ「忘れな草」をオープンした。

おぢさんの見聞日記:http://silver.ap.teacup.com/odisan/  

Posted by mc1543 at 19:38Comments(0)TrackBack(0)

2015年12月21日

読書



チェルノブイリの祈り スペトラーナ・アレクシエービッチ著 松本妙子訳 岩波書店刊 北名古屋市西図書館蔵
今年のノーベル文学賞受賞者の著作。僕にはこの人の本を触れる機会が今日まで全くなかった。正直、どんな人と驚いたほどだった。読んで、ノーベル賞に値する作品と十分納得できた。恐らく相当な圧力を国家から受けたであろうと想像できる。

 原子力発電はアメリカ、ロシア、日本で大きな事故が発生している。原子力発電はいったん暴走すると、手が付けられないと聞いている。危険きわまりない発電方法である。エネルギー資源のない日本。政府は原子力発電だけが頼りの方針。

 この本によると、チェルノブイリで事故が発生した直後、わずかなウオッカとお金で事故現場へ送り込まれた人々。彼らはその後、悲惨な死を迎えている。周辺の妊婦はすべて堕胎させられたと記述されている。作業員や周辺住民が極めて惨めな状態に追いやられていることを克明に記録している。原爆の被害を受けた日本。人体への影響については最も資料があるはず。

 福島では、作業員はどのようにして集められたのであろうか。彼らのその後の健康状態。海に放出された汚染水。海の汚染は本当に大丈夫なのか。放置された動物たちは、一体どうなったのか。「事故その後」が一向紙面に報道されない。原子炉の稼働のニュースばかり。国民は真の情報が知らされているのだろうか。各新聞社には政府から圧力がかかっているかも知れない。著者のような記者魂のある人がいないのであろうか。読んでおきたい一冊
  

Posted by mc1543 at 15:37Comments(0)TrackBack(0)日々の生活

2015年12月17日

水族館

 動物園に植物園、それに水族館。日頃、目にすることができない種に出会えるのが魅力だろうか。
近年、何処も展示方法が工夫され、魅力溢れる展示を提示し、来館者を堪能させてくれる。

 各務ヶ原市に世界淡水魚園水族館がある。近場なのに、なかなか見学に出かけられなかったのが
この水族館。やっとの思いで、重い腰を上げた。

 年末近い平日の朝。しかも、新たな展示会の直前と言う時期であったのか、空いていた。じっくり
観察できた。素晴らしい展示方法に感心。水中や、水辺に住む生物の観察を十分堪能をできた。展示
されている種の勉強をしておくともっと興味が湧くのではと思えるのだが、余りの無知に悔いるばか
り。

 世界最大のネズミ「カピバラ」や「コツメカワウソ」は子どもにも人気が出そう。コツメカワウソ
の給餌時間に出くわし、その行動の可愛らしさを堪能できた。 19日からは「ハイギョ」の展示が始
まる。素晴らしい展示が期待できそう。また、楽しめる場所が見つかった。  

Posted by mc1543 at 18:55Comments(0)TrackBack(0)日々の生活

2015年12月12日

楽しむ

楽しむ
 夫婦二人の気ままな生活。2匹の犬と室内にある様々な植物と共存している。飼っている
のは老犬ラブラドールと若い柴犬。どちらも雌。番犬としての役割が大きい。これらの世話
で、日々の生活に退屈することはあまりない。むしろ規則正しくなる。

 犬とは散歩の友であったり、庭に放して一緒に戯れる。いい遊び相手でもある。だが、彼女
たちのおかげで庭のあちこちに穴が掘られたり、駄目になってしまう植物もある。動物・植物
そして人間の完全なる共存は我が家では難しい。庭に木々はある。それらの水遣りも夏は大変
である。

 室内では、パートナーが「百均」で購入する観葉植物を育てるのが大好き。「百均」でもこん
なに大きく育つと自慢して楽しんでいる。鉢が大きくなると、手伝いを命じられる。リビングの
テレビラックの上を中心に、その他の場所に並ぶ植物。目の保養には実に良い。大きくなる楽し
みも味わえる。冬場の乾燥にも喉を痛めずに済む。老人の乾燥肌には有り難い。

 最近の問題は「この植物何ちゅう名前だっけ?」と、お互いがよく聞く。植物の名前がすぐには出
てこなくなった。残念ながら、植物は元気よく育っている。我々も加齢だけが大きくなっている。
だが、頭の中には空洞だけが育っているような気がするが…。スパティフィラムとかフィロデンドロ
ン・セロームはなかなか覚えられない。ばだらボケが始まりだしたのだろうか?

  

Posted by mc1543 at 16:20Comments(0)TrackBack(0)

2015年12月07日

香りと読書

 本が好きになったのは、小学高学年であった。江戸川乱歩の少年少女向きの本を読みあさったのが始まりだったような気がする。江戸川乱歩全集やルブランの「ルパン全集」を全巻読破した。当時、小説に出てくる探偵明智小五郎の助手小林少年にあこがれた。誰もが好きになるサスペンスもの。その後、ベルヌの子ども向きの「80日間世界一周」などにSF小説に関心を持つようになった。本好きはこの頃形成されたのだろう。

 中学時代は、ハードカバーの「ラジオの制作」が僕のバイブルになった。本がぼろぼろになるほど目を通した。ラジオを作ったり、短波放送を聞いたりして海外に関心が向いていった。この頃の経験が、アマチュア無線の資格修得と海外との交信へと趣味の世界が広まった。高校生になって、古典を読みあさるようになった。勉強のためではない。古典はエッチな話が数多い。始まりは、確か「宇治拾遺物語」だった。古典を読んでいると、友達は勉強していると思ってくれる。だが、僕の頭の中はピンク一色。実に不真面目な高校時代だった。
 海外の大河小説に目を向けたのは電車通学時間の長い大学時代。読書好きの友人が多かったことにも一因かも知れない。読んだ本の情報交換をしあって、お互い刺激しあった。時間的ゆとりがあった。この時代に、著名な大河小説はおおかた読み終えた。「チボー家の人々」や、文庫本の「戦争と平和」、「罪と罰」、「怒りの葡萄」など。これらは、読み終わるまでに長時間を要す。ある意味、忍耐力も必要だった。

 この頃、読書時間に友達ができた。だから、長時間文字と落ち着いて格闘できたのかも知れない。日中は本を読みながら、コーヒーの香を楽しむ。夜はウィスキーかブランディーの香を楽しみながら読書にいそしんだ。これらの香りはなぜか僕の読書によくあう。鎮静効果があるのだろう。この習慣は年老いた現在でも続いている。もちろん、僕の読書に刺激を常に与えてくれる人物がいることも事実。メールで本の紹介を送ってくれる。だが、アルコールを友にする読書法は僕だけのようである。夜は手の届くところにあるアルコールで秋の夜長に活字を楽しむ日々。生活に充実感を与えてくれる。だが、問題はある。読んでも、内容はすぐ頭から消えてしまっている。これはアルコールの影響では決してしない。すぐ消えるのは僕の頭機能が悪いせいであると。いつまでも友として読書を楽しみたいからだ。ラム酒の香りが素敵と聞く。まだ友としてはいない。友ができる限り、読書好きが続くかな。僕は決して読書家ではない。正体は単なるアルコール好きだったりして!

  

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