2016年03月29日

アクア・トトぎふ



 昨年末から開催されているハイギョ展を午前中観に出かけました。10時少し前でしたが、既に駐車場には多くの車が。平日だが春休み。やはり人気のスポットなんでしょう。

 入り口付近のソメイヨシノが7分咲き、ユキヤナギが満開で水族館といえども、目の保養になり、春の気配を楽しむことができました。

 ハイギョ展は是非見たい展示でした。淡水魚の生きる化石として興味がありました。だが、行ける機会がなくやっと出かけることができました。特に骨格標本は参考になりました。

 カピバラが新しい舎にに移り、大変親しみやすくなっていました。子ども達には大人気のようでした。僕はきれいな色彩を有するチョウセンスズカエルに見とれました。展示の魅力に誘われて、年間パスポートを買ってしまいました。何回行けるかな?
  

2016年03月21日

老人力

 「老人力」という言葉が飛び出したのは、確か20世紀末。21世紀が老人大国になる前触れのように言葉が踊った。それは赤瀬川源平著 筑摩書房刊の「老人力」が発端。今では当たり前に使われている。

 老人が元気溌剌、若者と同様な力を持つという意味では決してない。発想の転換をしなさい。それが老人力だと。要は老人であることを不幸に思うことなく前向きに。老いることは、若いときにできていたことができなくなる。否定的で考えるのではなく、それを肯定的に判断しなさいと訴える。歳をとれば当然物忘れが激しくなる。そんなとき、物忘れが秀でてきたと考えれば肯定的な言葉となる。服装も地味になりがち。車社会では危険だから、若者に負けじと目立つ色の服を着る。

 この本を読んで、様々な思考が浮かぶ。実は若い人にも物事をすべて否定的に考える人があると思う。そのような人には発想の転換という意味で、この本は一読の価値十分と判断している。さて、我が輩は、長年使用し、日光にあってるせいか、顔には多くの皺が。さらに、色素沈着が。残念ながら、昔紅顔の美少年も見苦しくなってきている。茶器であれば、適度な貫入に色素沈着で詫び寂びの様相を呈している。これは利休好み。さらにぼけが入り、少々思考がいびつ。これは織部仕様。ずいぶん高価な骨董品になりつつある。骨董品を上手く使うのは残念ながら白洲正子さんしかいない。他の人はお宝と称して大切に保存するだけ。

 さて、この地方で、この骨董品のジッサンたちをを上手に使う人はないだろうか。詫び、寂びが入って、少々変形もしてる。骨董品としては相当高価。これらの骨董品を上手く使う人があれば、1億総活躍時代も夢ではないと。 老人力は味わいを生む力。だから、古いが故の快さ、ダメな味わいが老人力。今年は古稀。骨頭品としてさらに磨きがかかるよう、見聞を広めたい
   

Posted by mc1543 at 10:32Comments(0)TrackBack(0)読書

2016年03月19日

恩師

今日は大学の研究室の集いホルト会開催日。
 中学2年生の担任と、高校時代に生物を教えていただいた先生はどちらも同じ園芸研究室の研究室の大先輩。
 そんなことは全く知らずに進学し、研究室に入って学んだ。卒業して研究室の卒業生の集いが開催されて、お互いに「アッ!」てなことに。
 
 かような恩師がいるので、会では後輩を使える身分ではあるが、師達から「おいっ!」と声がかかれば、平身低頭で恩師の所へ。




  こんなことがあるんですね。何かの因縁かも? 写真は中学の担任と。

   

Posted by mc1543 at 18:50Comments(0)TrackBack(0)日々の生活

2016年03月11日

ゴミゼロ運動

 530運動(ごみぜろうんどう)とは、5月30日(語呂合わせ)に、街中のゴミを拾い歩く運動で、1975年(昭和50年)に愛知県豊橋市が始め、全国に広がった運動とされている。

 ネットで調べるとこのように表示されている。今では日本全体で取り組まれている。登山でも、ゴミの持ち帰りが当たり前になっている時代。きれい好きの日本人。海外からの旅行者の感想。

 愛知県では、本来廃棄物として取り扱うべきモノが市場に出回った不祥事があった。ゴミとは不要な物いう言葉。このゴミが一向に捨てられない場所があるようだ。たまりに貯まっているのに行政指導もない所があるから、これまた不思議。

 常に「潔白」を主張される集団。きれい好きの国会議員の集まりでさえ議論にならない不思議な国。彼らは議論より実践を合い言葉にしているのだろう。ソウジ大臣の一声で、国会議員が核のゴミ処理に奔走。今年のゴミゼロ運動のトップニュースになるか? これは震災報道で気になったこと。  

Posted by mc1543 at 14:18Comments(0)TrackBack(0)気づいたこと

2016年03月09日

アジサイ(紫陽花)





















 植物の名前はカタカナで記載するのが決まり。でも、アジサイには「紫陽花」と表記するのが
1番適するように僕は思う。これほど素敵な漢字表記はない。

 梅雨時の特に青の雨に濡れるアジサイは本当に美しいと感じる。高校時代にこの植物に関心を
持った。今でも、アジサイは好きで観に出かける。

 現在、庭に3種類のアジサイがある。すでに新芽が出て来ている。鉢植えで室内にもあるといい
のではと、数日前に、2本挿し木しておいた。芽が出て来始めたようだ。

 アジサイの花言葉は一般に「移り気」だったと思う。最近では「家族団欒」の花言葉もあるそう
な。息子の嫁が昨年、プレゼントしてくれた栽培種「金平糖」。これも増やさねば……。  

Posted by mc1543 at 10:14Comments(0)TrackBack(0)日々の生活

2016年03月01日

大人の遊び


 大人がいないときでも子ども達だけで遊べる「坊主めくり」。これだけでも親しめた.札をめくるときの緊張感がたまらない遊びだった。大人がいれば,読んでもらって文字札の取り合いをした。百人一首なんてことも知らずに。訳がわからないまま、自然に百人一首に触れることができた遊びだった。

 小学校の高学年であったか、中学に入学してからだったからか記憶は定かではないが、競技に勝つためにだけで必死に覚えた記憶がある。意味は全く不明のままであったが、覚えやすいのと、そうでないのがあったように記憶している。
 

 百人一首の意味を本格的に学びだしたのは、高校生になって「古典」の授業で学んだのではなかろうか。受験のための勉強だけで、受験が終われば、頭からさっと飛び去ってしまった。永いこと百人一首に触れる機会は皆無であった。昨年、ふとしたことから、その関係の文庫本を3冊買って読み始めた。自分のために悠久に時間を費やせる歳になったからである。

 田辺聖子著「小倉百人一首」角川文庫、白洲正子著「私の百人一首」新潮社,有吉保著「百人一首」講談社学術文庫の3冊。田辺さんは自由奔放に現代語訳されており、1番楽しめる内容。白洲さんは本来の意味がなくなる恐れがありから、何度でも読んで理解しなさいと,現代語訳はなし。有吉さんは、語の説明も丁寧。さながら高校で学んだ古典を勉強しているよう。気が向いたときに開いて音読を楽しんではいる。だが、今だに、一向に空で口ずさむことはとてもできない。競技ではない、大人の自由奔放な遊びと思って楽しんでいる。作れるようになれば最高だが、時間はあっても能力はなし。悲しい現実!


   

Posted by mc1543 at 16:18Comments(0)TrackBack(0)日々の生活