2018年06月23日

うるおい

 アジサイが最も映える梅雨時。我が庭にも3種のアジサイが老いの目を楽しませてくれている。梅
雨が明ければ、剪定をしなければならない。植物にもそれなりに愛着を持って育てている。

 最も可愛い時期の幼児の両親による虐待死、新幹線殺人事件、看護師殺害事件。殺伐とした事
件が続いて発生している。何処かおかしいと感じるのは僕だけではないだろう。

 生あるもの慈しむ心は本来誰にも備わっているはず。これらの事件を起こした人には備わってい
ないのだろうか。新幹線では刺された女性を救おうと勇敢にも立ち向かった人もいる。

 最近の事件報道から、殺伐として人の心に潤いが欠如している気がしてならない。車内の優先席
でスマホに興じる学生や若者。目の前に杖をついてる人が立っているのに知らぬ顔。大地を潤す空
からの恵み。人の心に今こそ潤いの水が必要ではなかろうか。一滴の水で冷静に判断・行動しあい
もの。  

Posted by mc1543 at 12:27Comments(0)TrackBack(0)気づいたこと

2017年03月12日

生き延びる

 昨日も今朝も新聞には東日本大震災の報道記事で一杯。NHKテレビも特集を組んでいる。被害
が甚大であったことに加え、原発の事故が加わり、復興が完全に遅れてしまっている。

 愛知県では東海地震の発生を視野に入れて、以前から減災教育が盛んに実施されていた。今で
は何処の自治体でも防災リーダーたちが、減災教育にボランティアとして活動している。

 最近は、東海地震、南海地震、東南海地震が連動して起きる可能性があると、さらに防災力を高
める広報がなされている。飲料水、食料も各家庭で備蓄が当たり前になっている。我が家では、飲
料水は500mlを1ケース。食料は缶詰、インスタント麺など、2人分には十分な量を確保している。家
の耐震化も一応できている。テント、寝袋など野外生活ができるよう準備はしてある。

 飲料水意外にも生活用水が多量に必要であることは十分理解している。井戸を掘り、生活用水は
十分くみ上げることができる水量が出ている。震災で井戸水が涸れなければの話ではあるが…。問
題は老夫婦の生活。自力で難を逃れることができるかどうか。運を天に任すだけではいけないと、防
災関連の読書にも時には目を通すように心がけてはいるが。東日本大震災の教訓を生かすかどうか
は我々の問題。

  

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2017年01月22日

春の訪れ

 
大寒が過ぎたばかり。寒さが最も厳しい昨今である。朝、庭の水道は当然凍っている。

 庭に犬を放つと用を足し、すぐにハウスに戻る。寒さを感じるのは犬も同様。

 決して広くはない庭ではあるが、カリンの木に芽吹きが昨日
辺りから認められるようになってきた。我が家の春1番お便り
である。今日の午後、蕗の薹を見つけた。我が家の庭には
春の便りが確実に届いている。

 寒さは節分を過ぎても厳しい年もある。暖かさを感じるのは
まだまだ先。でも今夜は、たった1つの蕗の薹であるが、春の
香を楽しむことができそう。もちろん日本酒で。  

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2016年11月24日

七五三

 23日は勤労感謝の日。水曜日は息子の仕事がオフ。孫の健やかな成長を託して神社へ
出かけた。かような親子連れが一杯。この健康を願う親の姿が微笑ましい。

 祝詞が述べられている間に、着崩れしてしまうような子もいる。泣きじゃくる子もいる。幼い
子にとっては辛い時間であることには今も昔も同じ。

 我が家も爺婆出席に命令に参列。息子夫婦の住まいの近くの「伊奴神社」に参拝した。こ
の神社には面が飾ってあった。能舞台がある様子は見当たらない。以前には演じられてい
たのだろうか。

 ‌この神社、意義と立派。何か魅力が神社である。大勢の人が来ているにもかかわらず、落ち
着いた雰囲気が気に入った。


  

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2016年11月19日

どんな歴史が

 北名古屋市の旧西春地域には弥勒寺、法成寺、宇福寺と寺の名前が付いた部落がある。また、
八之坪、九之坪と条里制の名残らしき名前が残っている。

 歴史は余り好まないので、どうして寺の名前が付いているのか調べたこともない。弥勒寺は本当
にお寺が存在していたという話を聞いたことがあるのだが。

 昨日、円空仏を尋ねて関市へ出かけた。駐車場には「弥勒寺」の名前が付いている。入り口には
円空仏が並んでいた。ここから、円空館までの竹藪の道の途中に遺跡があった。弥勒寺というお寺
の国指定の遺跡のようだ。相当大きなお寺であったらしい。

 円空仏を尋ねて出かけたが、竹林の中で、古を偲ぶことに。古代ロマンが脳内のアドレナリンを刺
激したようだ。北名古屋には古墳があり、調査は行われている。早い時代からこの地に居を構えた人
がいたのだ。調べれば面白いかも?

  

Posted by mc1543 at 09:56Comments(0)TrackBack(0)気づいたこと

2016年06月14日

紫陽花



















 先日、江南市にある音楽寺を訪れた。この寺は円空仏とアジサイで有名な古刹。アジサイ祭りが開催される週末は大変な混雑。と言うわけで、狙いは月曜日の朝。 それでも、既にカメラを手にした人が散策してレンズをアジサイに向けてみえた。

 目にしたことのないアジサイが最近多いことに気づいた。特にガク片の艶やかな色彩に驚いた。アジサイはどちらかと言えば、侘び・寂びの雰囲気の色彩が好まれていた。 今日では真っ赤なガク片を持つアジサイに人気があるようだ。

 各地で、アジサイ祭りがたけなわ。きっと、驚くような色彩のアジサイに出会えるかも?
  

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2016年04月12日

お墓って必要だろうか?

 赤瀬川源平著の随筆集「老人力」、「老人力2」を楽しみながら読んだ。前者は「老人力」の言葉の誕生と、その意味を中心に、路上観察学やカメラの話題。後者は間違って理解されてしまった「老人力」が一人歩きを嘆く。

 講演会などでの苦労話が書かれている。後者の本の最後に「お墓」の話が出てくる。やはり、老人らしい話題と。これは読者へのサービス話かも知れない。とにかく、兄弟で墓を建てたと。この文で、お墓って本当に必要だろうかと考えさせられた。

 我が家では、母方の菩提寺は空襲で本堂が焼けた。石碑はかろうじて残ったが、位牌や過去帳はすべて焼け、資料は何もない。母が亡くなる前に、無縁仏にした。父方の菩提寺も同様。父は次男。幼児期になくなった子のために現在のお寺にお墓を作った。両親はそのお墓に眠っている。震災でもお寺がなくなっている。お寺も永遠不滅ではない。

 先祖代々の墓。何世代お墓の守ができるかさえ極めて不確定。ましてや地球滅亡となればお墓所どころではない。本当にお墓って必要だろうか。今のところ、年4回は墓参りしている。最近、墓参する度に恐怖を感じるようになった。ここで大地震が起こったら墓石の下敷き……。ありうる話だ。気になっている。位牌だけでも良いのでは? 
  

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2016年03月11日

ゴミゼロ運動

 530運動(ごみぜろうんどう)とは、5月30日(語呂合わせ)に、街中のゴミを拾い歩く運動で、1975年(昭和50年)に愛知県豊橋市が始め、全国に広がった運動とされている。

 ネットで調べるとこのように表示されている。今では日本全体で取り組まれている。登山でも、ゴミの持ち帰りが当たり前になっている時代。きれい好きの日本人。海外からの旅行者の感想。

 愛知県では、本来廃棄物として取り扱うべきモノが市場に出回った不祥事があった。ゴミとは不要な物いう言葉。このゴミが一向に捨てられない場所があるようだ。たまりに貯まっているのに行政指導もない所があるから、これまた不思議。

 常に「潔白」を主張される集団。きれい好きの国会議員の集まりでさえ議論にならない不思議な国。彼らは議論より実践を合い言葉にしているのだろう。ソウジ大臣の一声で、国会議員が核のゴミ処理に奔走。今年のゴミゼロ運動のトップニュースになるか? これは震災報道で気になったこと。  

Posted by mc1543 at 14:18Comments(0)TrackBack(0)気づいたこと