2016年03月01日

大人の遊び


 大人がいないときでも子ども達だけで遊べる「坊主めくり」。これだけでも親しめた.札をめくるときの緊張感がたまらない遊びだった。大人がいれば,読んでもらって文字札の取り合いをした。百人一首なんてことも知らずに。訳がわからないまま、自然に百人一首に触れることができた遊びだった。

 小学校の高学年であったか、中学に入学してからだったからか記憶は定かではないが、競技に勝つためにだけで必死に覚えた記憶がある。意味は全く不明のままであったが、覚えやすいのと、そうでないのがあったように記憶している。
 

 百人一首の意味を本格的に学びだしたのは、高校生になって「古典」の授業で学んだのではなかろうか。受験のための勉強だけで、受験が終われば、頭からさっと飛び去ってしまった。永いこと百人一首に触れる機会は皆無であった。昨年、ふとしたことから、その関係の文庫本を3冊買って読み始めた。自分のために悠久に時間を費やせる歳になったからである。

 田辺聖子著「小倉百人一首」角川文庫、白洲正子著「私の百人一首」新潮社,有吉保著「百人一首」講談社学術文庫の3冊。田辺さんは自由奔放に現代語訳されており、1番楽しめる内容。白洲さんは本来の意味がなくなる恐れがありから、何度でも読んで理解しなさいと,現代語訳はなし。有吉さんは、語の説明も丁寧。さながら高校で学んだ古典を勉強しているよう。気が向いたときに開いて音読を楽しんではいる。だが、今だに、一向に空で口ずさむことはとてもできない。競技ではない、大人の自由奔放な遊びと思って楽しんでいる。作れるようになれば最高だが、時間はあっても能力はなし。悲しい現実!


 

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