2015年12月07日

香りと読書

 本が好きになったのは、小学高学年であった。江戸川乱歩の少年少女向きの本を読みあさったのが始まりだったような気がする。江戸川乱歩全集やルブランの「ルパン全集」を全巻読破した。当時、小説に出てくる探偵明智小五郎の助手小林少年にあこがれた。誰もが好きになるサスペンスもの。その後、ベルヌの子ども向きの「80日間世界一周」などにSF小説に関心を持つようになった。本好きはこの頃形成されたのだろう。

 中学時代は、ハードカバーの「ラジオの制作」が僕のバイブルになった。本がぼろぼろになるほど目を通した。ラジオを作ったり、短波放送を聞いたりして海外に関心が向いていった。この頃の経験が、アマチュア無線の資格修得と海外との交信へと趣味の世界が広まった。高校生になって、古典を読みあさるようになった。勉強のためではない。古典はエッチな話が数多い。始まりは、確か「宇治拾遺物語」だった。古典を読んでいると、友達は勉強していると思ってくれる。だが、僕の頭の中はピンク一色。実に不真面目な高校時代だった。
 海外の大河小説に目を向けたのは電車通学時間の長い大学時代。読書好きの友人が多かったことにも一因かも知れない。読んだ本の情報交換をしあって、お互い刺激しあった。時間的ゆとりがあった。この時代に、著名な大河小説はおおかた読み終えた。「チボー家の人々」や、文庫本の「戦争と平和」、「罪と罰」、「怒りの葡萄」など。これらは、読み終わるまでに長時間を要す。ある意味、忍耐力も必要だった。

 この頃、読書時間に友達ができた。だから、長時間文字と落ち着いて格闘できたのかも知れない。日中は本を読みながら、コーヒーの香を楽しむ。夜はウィスキーかブランディーの香を楽しみながら読書にいそしんだ。これらの香りはなぜか僕の読書によくあう。鎮静効果があるのだろう。この習慣は年老いた現在でも続いている。もちろん、僕の読書に刺激を常に与えてくれる人物がいることも事実。メールで本の紹介を送ってくれる。だが、アルコールを友にする読書法は僕だけのようである。夜は手の届くところにあるアルコールで秋の夜長に活字を楽しむ日々。生活に充実感を与えてくれる。だが、問題はある。読んでも、内容はすぐ頭から消えてしまっている。これはアルコールの影響では決してしない。すぐ消えるのは僕の頭機能が悪いせいであると。いつまでも友として読書を楽しみたいからだ。ラム酒の香りが素敵と聞く。まだ友としてはいない。友ができる限り、読書好きが続くかな。僕は決して読書家ではない。正体は単なるアルコール好きだったりして!

  

Posted by mc1543 at 10:28Comments(0)TrackBack(0)