2016年03月21日

老人力

 「老人力」という言葉が飛び出したのは、確か20世紀末。21世紀が老人大国になる前触れのように言葉が踊った。それは赤瀬川源平著 筑摩書房刊の「老人力」が発端。今では当たり前に使われている。

 老人が元気溌剌、若者と同様な力を持つという意味では決してない。発想の転換をしなさい。それが老人力だと。要は老人であることを不幸に思うことなく前向きに。老いることは、若いときにできていたことができなくなる。否定的で考えるのではなく、それを肯定的に判断しなさいと訴える。歳をとれば当然物忘れが激しくなる。そんなとき、物忘れが秀でてきたと考えれば肯定的な言葉となる。服装も地味になりがち。車社会では危険だから、若者に負けじと目立つ色の服を着る。

 この本を読んで、様々な思考が浮かぶ。実は若い人にも物事をすべて否定的に考える人があると思う。そのような人には発想の転換という意味で、この本は一読の価値十分と判断している。さて、我が輩は、長年使用し、日光にあってるせいか、顔には多くの皺が。さらに、色素沈着が。残念ながら、昔紅顔の美少年も見苦しくなってきている。茶器であれば、適度な貫入に色素沈着で詫び寂びの様相を呈している。これは利休好み。さらにぼけが入り、少々思考がいびつ。これは織部仕様。ずいぶん高価な骨董品になりつつある。骨董品を上手く使うのは残念ながら白洲正子さんしかいない。他の人はお宝と称して大切に保存するだけ。

 さて、この地方で、この骨董品のジッサンたちをを上手に使う人はないだろうか。詫び、寂びが入って、少々変形もしてる。骨董品としては相当高価。これらの骨董品を上手く使う人があれば、1億総活躍時代も夢ではないと。 老人力は味わいを生む力。だから、古いが故の快さ、ダメな味わいが老人力。今年は古稀。骨頭品としてさらに磨きがかかるよう、見聞を広めたい
 

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