2016年08月08日

田舎気分

 生まれたときから、便利なところに住んでいたようである。駅まで数分。通学・通勤は便利で本当に有り難かった。雨の日には特に近いメリットを感じたものである。

 10年ほど前、震災対策で庭に井戸を掘った。凄く水が出るので、電動ポンプと手動ポンプを併用していた。水遣りはもっぱら電動ポンプを利用していた。

 最近、年齢を重ねるにつれて時間的な余裕が出て来た。もっとゆったりした生活も楽しいのではと。家庭菜園を始めた。狭い庭であるが、できる限り自給できないかと。そして散水も手動ポンプ(ガチャポン)でで給水し、如雨露で散水をするように心がけている。

 最近の暑さは異常。この田舎風生活により、水遣りだけでもたっぷりの汗をかくことができる。少々体重減少で多量の汗も爽快。田舎気分の生活は結構面白い。

  

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2016年06月24日

音を楽しむ



 音楽のことは知らない。だが、耳をくすぐる音、美しいと感じる曲がある。

 ラジオ放送で楽しんだものである。それがステレオへ。レコードやCDに手を出すように。さらに生の音を楽しむことへと変わっていった。
 
 わが町には名古屋藝術大学という大学がある。ずいぶん以前からあるようであるが、残念ながら詳しいことは知らない。

 歳を重ねるにつれて、夜名古屋まで出かけるのが少々苦痛になり出した。でも、音は聞きたい欲望は低下しない。近隣にあるではないか。しかも、日中に。ここ数年、この大学で行われる演奏会があれば、出かけるようにしている。しかも無料。結構、同年配の多くの方がここでの演奏会を楽しんでおられる。
  

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2016年06月15日

言葉の贅肉

 
 
伊奈かっぺい著 岩波書店刊 愛知県図書館蔵

  知人がフェイスブックでこの本を紹介していた。「言葉」に関する本は意外と面白い。使い方を間違えていたり、意外な語源があったり、話のネタになったり、重宝することがある。

 日本語と言えども地方で使われる言葉でわからないことが数多くある。学生時代、指宿で道に迷い畑をしてる女性に尋ねた。さっぱりわからず、途方に暮れたことがある。天童市にボーイスカウト関係の知り合いの指導者がいる。彼の言葉は意外と理解できた。同じ東北でも津軽は難解。

 小さな日本。言葉文化は多様。尾張弁を日常語とする我々には、理解しやすい地方語とそうでない語がある。この本は津軽弁が紹介されている。少しは馴染んでみるかと鼻息は荒かった。「えくぼ」の詩が実にいい。ワープロで打ち、字を大きくして印字。音読大好きオッサン。何度も読んですらすら読めるまでに。

  だが、読み方は標準語に近い尾張弁らしい。津軽弁を楽しんで貰うためには、録音したファイルをダウンロードできるようにして欲しいと感じた。こちらのテレビではリンゴ農家のおじさんが話す言葉には標準語のテロップが流れる。実に楽しく,面白い本。 僕は津軽弁に近い言葉で音頭を楽しみたいのだが……。  

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2016年06月14日

紫陽花



















 先日、江南市にある音楽寺を訪れた。この寺は円空仏とアジサイで有名な古刹。アジサイ祭りが開催される週末は大変な混雑。と言うわけで、狙いは月曜日の朝。 それでも、既にカメラを手にした人が散策してレンズをアジサイに向けてみえた。

 目にしたことのないアジサイが最近多いことに気づいた。特にガク片の艶やかな色彩に驚いた。アジサイはどちらかと言えば、侘び・寂びの雰囲気の色彩が好まれていた。 今日では真っ赤なガク片を持つアジサイに人気があるようだ。

 各地で、アジサイ祭りがたけなわ。きっと、驚くような色彩のアジサイに出会えるかも?
  

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2016年05月31日

奇跡の人

原田マハ著 双葉社刊 北名古屋市東図書館蔵

  この人の作品は気に入りである。すべてを読んだわけではないが、難しい本の間に、楽しみとして目を通している。いつも読後、なぜか満足感がある。それが魅力であろうか。頭休めの本をと探していたら、この本が目に飛び込んだ。「原田さんがへレンケラーの小説?」と一瞬、脳裏に閃いた。気に入りの作家だからこれと決めて借りてきた。

 時は明治、所は青森県弘前。「盲目で、耳が聞こえず、口も利けない」という3重苦の少女レンのため、アメリカ帰りの旧幕臣の娘・安が教育係として招かれた。この3重苦の少女が気品と尊厳を備えた人として生きることを目標として、壮絶な指導が行われる。安の指導を妨げるのは、親、兄弟、お手伝いたち。大人達は都合のよい子に仕向けようとする。それが少女の心を閉ざしてしまう。現代の親毒。人と人が接し得るようにと「言葉」を教える。3重苦の少女にどのように教えるか読者を惹き付ける。

 現在では、高齢出産の影響でか、多動児が多いと聞く。それでも、指導法によっては人として活躍できる子になるかも知れない。作者は子どもは無限の可能性を有すると、この本で訴えている。

 歳をとると、涙腺がもろくなるという。恥ずかしい話ではあるが、この本を読みながら、何度涙を流したことだろうか。子どもの指導現場で働く人は是非読んで欲しい。可能性が見つかれば、教師冥利に尽きるではないか。
  

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2016年05月22日

ジューン・ベリー


 庭に3本のジューン・ベリーの木がある。1本は成木で毎年多くの実みを付けてくれる。実の色彩が魅力的である。また、晩秋には紅葉を鑑賞できるので重宝している。

 ひこばえは挿し木して現在2本育てている。楽しみがまだまだ増えそうfだ。

 数日前から、ずいぶん色づいてきた。庭仕事をしながら、つまみ食いをしている。結構甘くなってきている。今夕、熟した実を収穫した。50粒以上はある。

 爺婆二人の夕餉には十分な量のデザート。まだ、数日は果実を楽しむことができる。鳥と実の取り合いにならぬよう注意が必要だが。庭で採れる小さなデザート。採れたての魅力。

  

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2016年05月19日

庄内緑地公園

 天候に恵まれ、日差しは強いが爽やか。健康おためにと出かけた。
 庄内緑地公園にヒトツバダコ(別名ナンジャモンジャノキ)が今見頃でした。バラ園からはかすんだように見えました。群生することもなく、あちこちで散見できる。ちょっぴり変わった木です。

 ずいぶん以前になるが、犬山市内で見つけたことがある。

 バラは見事に咲き誇っていました。バラの美しさに魅了され多くの人がカメラを構えて撮ってみえました。散策日よりでした。無料の遊び場としても良いほどです。


  

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2016年05月08日

新たな挑戦

 昨年、アクア・トト ぎふを初めて訪れた。展示方法が気に入ってしまった。さらに、「ハイギョ」の展示案内が掲示されていた。一気にこの水族館に関心が高まった。
 
 水生動物にも水生植物にも全く知識を持ち合わせていない。少しずつ勉強してみようとそんな雰囲気になってしまった。「ハイギョ展」を訪れた折、思い切って勉強するつもりで、年間パスポートを購入した。

 今年、古稀を迎える。「六〇の手習いならぬ」、七〇の手習いだ。遅きと思わず、前向きにと、「ハイギョ」についても調べた。今月出かけたときには、「アクア・トトぎふ」の案内書を購入。これを読んで、図書館で少しずつ勉強すれば、ずいぶん勉強できるのではと、意気込んでいる。

 車が運転できる間は、この水族館を1つの勉強の場と考えたい。1年に何回行けるかも不明。どれほど勉強できるかも不明。だが、老いた頭に刺激を、水生生物の知識を豊にと考えている。

写真はゾウガメ。涙を流しているかと思いきや、よく観察していると鼻水を! ゾウガメも花粉症かな?

  

2016年04月12日

お墓って必要だろうか?

 赤瀬川源平著の随筆集「老人力」、「老人力2」を楽しみながら読んだ。前者は「老人力」の言葉の誕生と、その意味を中心に、路上観察学やカメラの話題。後者は間違って理解されてしまった「老人力」が一人歩きを嘆く。

 講演会などでの苦労話が書かれている。後者の本の最後に「お墓」の話が出てくる。やはり、老人らしい話題と。これは読者へのサービス話かも知れない。とにかく、兄弟で墓を建てたと。この文で、お墓って本当に必要だろうかと考えさせられた。

 我が家では、母方の菩提寺は空襲で本堂が焼けた。石碑はかろうじて残ったが、位牌や過去帳はすべて焼け、資料は何もない。母が亡くなる前に、無縁仏にした。父方の菩提寺も同様。父は次男。幼児期になくなった子のために現在のお寺にお墓を作った。両親はそのお墓に眠っている。震災でもお寺がなくなっている。お寺も永遠不滅ではない。

 先祖代々の墓。何世代お墓の守ができるかさえ極めて不確定。ましてや地球滅亡となればお墓所どころではない。本当にお墓って必要だろうか。今のところ、年4回は墓参りしている。最近、墓参する度に恐怖を感じるようになった。ここで大地震が起こったら墓石の下敷き……。ありうる話だ。気になっている。位牌だけでも良いのでは? 
  

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2016年04月10日

八重桜

 以前の家の庭にも八重桜があった。ソメイヨシノが咲いた後に咲く八重桜。歩行者がきれいだなぁ~と、感嘆してくれていた。

 アマチュア無線の仲間内と庭で宴を開いたこともあるほど。現在庭に咲く八重桜は植えて10年未満。まだまだ小さい。樹高3mほど。

 通りからはわずかに見える程度。庭一杯に花を咲き誇るにまだまだ時間がかかる。いつまで八重桜を眺めることができるか。通りを歩く人が眺めて、癒やしになればと…。

  

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2016年04月05日

楽しむ



 若い頃はもっぱら仕事上の付き合いでお酒の席に着いた。いろいろなお酒を飲んできたが、「旨い!」と思って飲んだことは、残念ながら経験がない。

 酒の席とは言え対人関係があるので、決してゆったりした気分で飲めるわけではない。何らかの緊張があった。親しい学友と飲むときでさえ、何らかの話題で議論していた。酔いはしたが、アルコールの勢いで議論が弾んだくらい。

 若いときには、夜遅く読書をするときにウイスキーを友にしていた。香りが僕の脳を活性化してくれていたようだ。日中、コーヒーを飲みながらの読書と同じである。晩酌をするようになったのは、夫婦二人の生活になってからのこと。冬から春にかけては日本酒か焼酎。春から夏にかけてはビールかワインが旨い。

 パートナーと気楽に飲む少量のアルコール。肴との相性も舌に感じ、どのようなアルコールでも実に旨いと感じる。今では様々なアルコールを飲み比べて二人で楽しんでいる。酒の味がわかる年齢になったようだ。   

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2016年04月02日

観楼


 週に1度は朝、喫茶店でゆっくりとコーヒーの香りに包まれた生活を楽しもうと考えてはいるが、月に1度が精一杯。なんやかやと行けないことが多い。

 今朝は、思い切ってパートナーと出かけた。すでに、多くの車が駐車していた。喫茶店で「ガテマラ」を注文し、情報誌に目を通す。窓から見える桜並木がとても美しい。

 喫茶店を出て、桜並木を散策。満開だ。ランニングしながら、桜を楽しむ人。犬を連れて桜を愛でる人。懸命に写真に収めている人。様々な方法で楽しむ人に出会う。僕が散策するところで宴をするグループは誰も居ない。静かにサクラを愛でることができる。

 どんな花見でも、静かが良い。風の音、水のせせらぎ、鳥のさえずりが耳に届けば、最高の観楼になると思うのだが…。  

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2016年03月29日

アクア・トトぎふ



 昨年末から開催されているハイギョ展を午前中観に出かけました。10時少し前でしたが、既に駐車場には多くの車が。平日だが春休み。やはり人気のスポットなんでしょう。

 入り口付近のソメイヨシノが7分咲き、ユキヤナギが満開で水族館といえども、目の保養になり、春の気配を楽しむことができました。

 ハイギョ展は是非見たい展示でした。淡水魚の生きる化石として興味がありました。だが、行ける機会がなくやっと出かけることができました。特に骨格標本は参考になりました。

 カピバラが新しい舎にに移り、大変親しみやすくなっていました。子ども達には大人気のようでした。僕はきれいな色彩を有するチョウセンスズカエルに見とれました。展示の魅力に誘われて、年間パスポートを買ってしまいました。何回行けるかな?
  

2016年03月21日

老人力

 「老人力」という言葉が飛び出したのは、確か20世紀末。21世紀が老人大国になる前触れのように言葉が踊った。それは赤瀬川源平著 筑摩書房刊の「老人力」が発端。今では当たり前に使われている。

 老人が元気溌剌、若者と同様な力を持つという意味では決してない。発想の転換をしなさい。それが老人力だと。要は老人であることを不幸に思うことなく前向きに。老いることは、若いときにできていたことができなくなる。否定的で考えるのではなく、それを肯定的に判断しなさいと訴える。歳をとれば当然物忘れが激しくなる。そんなとき、物忘れが秀でてきたと考えれば肯定的な言葉となる。服装も地味になりがち。車社会では危険だから、若者に負けじと目立つ色の服を着る。

 この本を読んで、様々な思考が浮かぶ。実は若い人にも物事をすべて否定的に考える人があると思う。そのような人には発想の転換という意味で、この本は一読の価値十分と判断している。さて、我が輩は、長年使用し、日光にあってるせいか、顔には多くの皺が。さらに、色素沈着が。残念ながら、昔紅顔の美少年も見苦しくなってきている。茶器であれば、適度な貫入に色素沈着で詫び寂びの様相を呈している。これは利休好み。さらにぼけが入り、少々思考がいびつ。これは織部仕様。ずいぶん高価な骨董品になりつつある。骨董品を上手く使うのは残念ながら白洲正子さんしかいない。他の人はお宝と称して大切に保存するだけ。

 さて、この地方で、この骨董品のジッサンたちをを上手に使う人はないだろうか。詫び、寂びが入って、少々変形もしてる。骨董品としては相当高価。これらの骨董品を上手く使う人があれば、1億総活躍時代も夢ではないと。 老人力は味わいを生む力。だから、古いが故の快さ、ダメな味わいが老人力。今年は古稀。骨頭品としてさらに磨きがかかるよう、見聞を広めたい
   

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2016年03月19日

恩師

今日は大学の研究室の集いホルト会開催日。
 中学2年生の担任と、高校時代に生物を教えていただいた先生はどちらも同じ園芸研究室の研究室の大先輩。
 そんなことは全く知らずに進学し、研究室に入って学んだ。卒業して研究室の卒業生の集いが開催されて、お互いに「アッ!」てなことに。
 
 かような恩師がいるので、会では後輩を使える身分ではあるが、師達から「おいっ!」と声がかかれば、平身低頭で恩師の所へ。




  こんなことがあるんですね。何かの因縁かも? 写真は中学の担任と。

   

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2016年03月11日

ゴミゼロ運動

 530運動(ごみぜろうんどう)とは、5月30日(語呂合わせ)に、街中のゴミを拾い歩く運動で、1975年(昭和50年)に愛知県豊橋市が始め、全国に広がった運動とされている。

 ネットで調べるとこのように表示されている。今では日本全体で取り組まれている。登山でも、ゴミの持ち帰りが当たり前になっている時代。きれい好きの日本人。海外からの旅行者の感想。

 愛知県では、本来廃棄物として取り扱うべきモノが市場に出回った不祥事があった。ゴミとは不要な物いう言葉。このゴミが一向に捨てられない場所があるようだ。たまりに貯まっているのに行政指導もない所があるから、これまた不思議。

 常に「潔白」を主張される集団。きれい好きの国会議員の集まりでさえ議論にならない不思議な国。彼らは議論より実践を合い言葉にしているのだろう。ソウジ大臣の一声で、国会議員が核のゴミ処理に奔走。今年のゴミゼロ運動のトップニュースになるか? これは震災報道で気になったこと。  

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2016年03月09日

アジサイ(紫陽花)





















 植物の名前はカタカナで記載するのが決まり。でも、アジサイには「紫陽花」と表記するのが
1番適するように僕は思う。これほど素敵な漢字表記はない。

 梅雨時の特に青の雨に濡れるアジサイは本当に美しいと感じる。高校時代にこの植物に関心を
持った。今でも、アジサイは好きで観に出かける。

 現在、庭に3種類のアジサイがある。すでに新芽が出て来ている。鉢植えで室内にもあるといい
のではと、数日前に、2本挿し木しておいた。芽が出て来始めたようだ。

 アジサイの花言葉は一般に「移り気」だったと思う。最近では「家族団欒」の花言葉もあるそう
な。息子の嫁が昨年、プレゼントしてくれた栽培種「金平糖」。これも増やさねば……。  

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2016年03月01日

大人の遊び


 大人がいないときでも子ども達だけで遊べる「坊主めくり」。これだけでも親しめた.札をめくるときの緊張感がたまらない遊びだった。大人がいれば,読んでもらって文字札の取り合いをした。百人一首なんてことも知らずに。訳がわからないまま、自然に百人一首に触れることができた遊びだった。

 小学校の高学年であったか、中学に入学してからだったからか記憶は定かではないが、競技に勝つためにだけで必死に覚えた記憶がある。意味は全く不明のままであったが、覚えやすいのと、そうでないのがあったように記憶している。
 

 百人一首の意味を本格的に学びだしたのは、高校生になって「古典」の授業で学んだのではなかろうか。受験のための勉強だけで、受験が終われば、頭からさっと飛び去ってしまった。永いこと百人一首に触れる機会は皆無であった。昨年、ふとしたことから、その関係の文庫本を3冊買って読み始めた。自分のために悠久に時間を費やせる歳になったからである。

 田辺聖子著「小倉百人一首」角川文庫、白洲正子著「私の百人一首」新潮社,有吉保著「百人一首」講談社学術文庫の3冊。田辺さんは自由奔放に現代語訳されており、1番楽しめる内容。白洲さんは本来の意味がなくなる恐れがありから、何度でも読んで理解しなさいと,現代語訳はなし。有吉さんは、語の説明も丁寧。さながら高校で学んだ古典を勉強しているよう。気が向いたときに開いて音読を楽しんではいる。だが、今だに、一向に空で口ずさむことはとてもできない。競技ではない、大人の自由奔放な遊びと思って楽しんでいる。作れるようになれば最高だが、時間はあっても能力はなし。悲しい現実!


   

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2016年02月28日

観梅



 稲沢市に愛知県植木センターがある。毎年梅祭りが開催され、人気を博している。

 観梅は岐阜市の梅林公園も有名だ。ここは学生時代によく訪れた。最近はとんとご無沙汰。

 時間がとれたので、植木センターに出かけてみた。ナビが苦労してるから、運転するこちらも大変。見当を付けて走った方が良いようだ。よく手入れされた広い敷地」。管理棟の近くに梅が沢山栽培されている。ずいぶん立派な名前が付けられていた。

 梅だけでなく、アジサイ、ナンジャモンジャも最盛期には見応えがありそう。  

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2016年02月21日

偶然の一致



 悠久の時間を過ごせるようになってからずいぶん時間が経過した。日頃自由気ままな生活。趣味に読書と好き勝手な生活。楽しいが、仕事をしてる時に比べ、緊張感が不足し,交流も減ってきている。

 そんな生活ではあるが、時には珍しいことが起きることもある。リタイヤーして頂き物がほとんどなくなった。

 先日、息子が朝早く車で我が家にやってきた。「これ食べてくれ」と。ニジマスだ。渓流釣りに出かけたのか、購入したのかは知らない。妻がすぐに裁き始めた。そんなとき、携帯にボーイスカウトの後輩から電話。「良い物が手に入ったので取りに来い」と。出かけると彼が愛飲している日本酒。遠慮なく頂く。

 夜はニジマスを肴に,頂いたお酒で食事。素敵な食材を頂いて、大満足の夕餉。少々飲み過ぎたかな。でも、美味しかった。時にはこんなラッキーな日もあるのだ。本当に珍しいできごと。  

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